2023年2月18日土曜日

りゅうさんぽ【五街道徒歩旅紀行-甲州街道編-】 新宿から高尾まで


久しぶりに長距離でも歩きたいなぁと、
Twitterでなんとなく呟き、それに友人Sが「歩こうぜ」と返事。
東海道と中山道は歩いていたので、次に歩きたい場所はおおよそ決まっていた。
甲州街道だ。


今まで徒歩旅はほとんど僕一人で歩いてきた。
早く行きたいなら一人で、遠くに行きたいなら複数人で。
そんな言葉を聞いたことあるのだが、それは果たして本当なのだろうか。


202319日8:15am、友人Sの家の前に集合し、電車で新宿へと向かう。
新宿御苑トンネル手前の交差点が今回の旅の起点となる。

僕自身、徒歩の旅はいくつか場数を踏んできているので慣れてきているとはいえ、モニュメントの写真も取り、しっかり目に焼き付けて、旅の始まりを楽しんでいた。
やはりいつになっても旅の初動というものはワクワクしてしまう。


友人Sは歴史に学があり、甲州街道道中にある歴史的な遺構などがあればなるべく立ち寄りたいと事前に聞いていたのだが、新宿を出てからというものそれっぽいものが全く見当たらない。
僕の心情としてはなるべく距離も稼ぎつつ、見られる遺構はなるべく見るスタンスだったが、上高井戸付近まではひたすら建築物で陰った道を歩き続けることとなった。
天気が良かったこともあり、ビルの隙間の日当たりの良いところでは太陽の暖かさをしっかり感じていた。

上高井戸を過ぎると、国道20号線から分岐する形で旧甲州街道が現れる。
その後仙川付近で20号線と合流し、国領付近の分岐で再び現れる。
友人Sはすでに足が痛いと言い始めたので、大事を取って下高井戸から国領までワープ(電車)をしてきた。
徒歩旅をしているとしばしば公共交通機関の便利さと安さに驚いてしまう。


1:30pm、国領で家系ラーメンをたいらげた僕らは再び旧甲州街道へと足を運ぶ。


調布駅付近になり、ようやく甲州街道に関する建造物が見られるようになった。
数々の遺構を見て回るのは趣があるが、手当り次第に見ているといくら時間があっても足りないため、友人Sと相談し各宿場にある本陣(跡)をなるべく探しながら歩こうと決めた。


JR谷保駅付近に差し掛かると、谷保天満宮が現れた。
天満宮入り口の丁字路は車がたくさん出入りし、若い人が駅前からぞろぞろと入り口に吸い込まれていく。
気になって調べてみると、谷保天満宮は亀戸天神と湯島天満宮と並び関東三大天神と呼ばれているらしい。
亀戸天神と湯島天神が都心にあるが故に、こんな郊外に天満宮があることに驚いた。
となるときっと受験生がたくさん出入りしていたのだろう。
コロナ禍で受験なんて大変だが頑張って欲しいなと想いを馳せ、足を進めた。


5:30pm頃、日野橋交差点で道は鋭角に曲がり多摩川の日野橋へと向かう。
歴史ある道だとしても、比較的大きな川の付近には昔の道が残ってないことが多い。
江戸時代は大きい川があればその両端に渡しがあり、人々の通行を支えていた。
しかし昔から暴れ川と呼ばれた多摩川は洪水のたびに地形が変化し、草むらが生い茂ってしまえばどこが道だったのかすらわからなくなってしまう。
後に橋がかけられ、人々の交通経路が変わってしまい、誰も使わなくなった渡し付近はもう何も残らない。
経験上、川の両端の経路については曖昧なところが多い印象だ。
本来の渡しの場所がどこなのか調べてみたところ、日野橋から上流へ300mほど向かったところに日野渡船場跡があるという。
しかし跡という跡はなく看板が立っているだけのようだった。


日野市に入り、中央自動車道の高架をくぐると上り坂となり、日野台に差し掛かる。
坂を登りきったところに自動車メーカー日野の工場があったがまさか・・・と思い調べるとまさに地名の「日野」が由来だそうだ。
1942年の創業当時は日野重工業。後の1999年に日野自動車株式会社となったそう。
本社工場がある日野がそのまま会社の名前になったとは驚きだった。


7:30pm、本日の目的地である八王子に到着した。
同じ東京でも都心部に比べて少し寒く感じた。
天気予報を見ても、都心部ではちょっと雪が降る予報でも八王子では本格的に降って積もるくらい気温の差があるくらいなのだから、きっとそうなのだろう。
八王子は思った以上に都会でふたりとも感心していた。
バカにしているわけではなく、高尾山など山間部に近い都市でこんなに発展しているとは思っていなかった。
しかし、この規模の都市があって政令指定都市になっていないのはなにか理由があるのだろうか。

本陣を探して歩くつもりだったが、もうそれどころではない。
多摩川を越えてから二人とも、足が痛いとずっと悶ていた。
予定では八王子で一旦切り上げ、後日再び八王子から徒歩旅を続けるつもりだった。
しかし、何を考えたのか少し無理してでも距離を稼ぐ事になった。
そして僕らはそのまま高尾に向かうのであった。


徒歩旅の醍醐味の一つといえば、歴史的遺構の探索や景色であろう。
車や電車では感じることのできない、人間の洞察力や認識速度に適した風景の移り変わりを体験することができる。
しかし今回のように夜になっても歩くデメリットとしては、その探索がほぼ不可能になってしまうということだろう。
日が落ちれば観光施設は閉館となり、街頭で照らされた場所以外は真っ暗で何も見えない。
八王子を出発してからは人気がなく、街頭に照らされた一直線の道をひたすら歩く。
寒さと足の痛みが同時に襲い、度々止まってはストレッチをして、自分を騙しながら歩き続けた。 
たまに雑談をしながら歩いていたはずが、疲労感でいつの間にかふたりとも無言になる。
だが二人で歩くと寂しさを感じることはなく、疲れを吐露しては頑張ろうと言うことで幾分か気を紛らわせていた。
徒歩旅ではいつも一人で黙々と歩いているが、こうやって話せる相手がいるというのもまた良いものだ。


9:30pm、本日の最終目標の高尾駅に到着した。
二人とも疲労度は限界を迎え、足は激痛に、ペンギンのような歩き方のまま、帰路の電車に乗り込んだのだった。


後日、高尾まで目標設定した事が間違った判断とは知らずに・・・。